訴訟の話から続きを始めよう。MySQLがProgressとNuSphereを訴えたのは、記憶にある中で最初のGPLに関する訴訟だったと思う。GPLが裁判の場で初めて試されたわけだ。基本的に、GEMINIはMySQLのコピーにバンドルされた、プロプライエタリなストレージエンジンだった。それはどういうことか?GPLが有効であるということがわかり、GEMINIには結局GPLが適用され、そしてどうにもならなかった。なぜ?それはおそらく何らかのビジネス上の理由があったのだろうし、InnoDBは実際のところより良い製品で、しかもGPLの適用を強制するような訴訟はなかったし、それでビジネス上の関係は非常にうまくいったからだろう。
2003年にはベンチャーキャピタルからの第2ラウンドの出資を受けた。開発チームの規模は大きくなった。MySQL ABがやったことの一つに、技術に大して大きな投資をしたということがある。考えるにこれは会社に大きな価値を与えたと思う。大きな会社に見られたかったり、顧客に高品質なサービスを提供したいと思うなら、技術開発により多くの金をつぎ込む必要がある。
2003年3月、MySQL 4.1や5.0が開発ツリーに置かれるようになると同時に、MySQL 4.0がGAリリースされた。3つの開発ツリーが同時に存在するのは、多すぎるように見えるかもしれないし、実際そうだった。しかしこれは、MySQLに不足していたり、ユーザを増やしたり、市場でのシェアを増やすための機能を開発するための、目の回るような日々だった。これらの機能は全てMySQLに加えることができただろうか?それは時間が経てば…。
2003年のMySQLのビッグニュースといえば?SAPとのパートナーシップ。これは、MySQLサーバを少々おかしな方向に導いた「MySQLでSAPを動かす(run SAP on MySQL)」というアイディアだった。のっけから、SAPのブートストラップSQLスクリプトは1万前後のテーブルを作り、数GBのデータをロードする。起動する前からこれだ。2003年時点、MySQL 4.0ではこれはうまく動かなかった。どうしてSAPはこれに興味を持ったのかって?そりゃあ、Oracleのライセンス料を払わないでSAPを動かせるからだよ!