linux.conf.au 2014での発表内容のビデオはこのURLから見られる(訳注 : この記事は、元々原文の筆者が発表したものを書き起こしたもの)。
ここではビデオではなくブログ記事としてこの内容についてみてみよう。
1979年、UNIREGというソフトウェアがあった。データベース(いや、テーブルか)に行を保存するためのテキストUIだ。UNIREGのことを出してきたのは、それがFoRMsという仕組みを使っていて、(MyISAMのディクショナリ情報を格納する)FRMファイルがその頭文字を使っているっぽいからだ。
1986年には、UNIREGはUNIXで動くようになった。そう、つまりISAM(Index Sequential Access Method。基本的に行は挿入された順に並び、インデックスはそれを指す)への80x24のVT100インタフェースがUNIXで使えるようになったということだ。まだ一般的なクエリ言語は存在しておらず、FoRMsとレポートだけだった。実際のところ今日でもこの80x24のテキストインタフェースはMySQLによってFRMファイルに保存されて入るが、使われることはない(以前それについて書いている)。
それから、1990年ごろになると、小さなSQLサーバ(ソース付き)だがFOSSではないmSQLが現われた。元々は、Monty WがISAMエンジンを組み込んだものだが、あまりぴったりの組み合わせというわけではなかった。その後、1995年にはMySQL 1.0が登場し、MySQL AB社が立ちあげられた。
少し早送りして、1996年にはMySQL 3.19が登場し、開発は継続されていた。機能拡張、性能向上、別のOSや別のCPUアーキテクチャへの移植、そしてもちろん、安定性も向上していた。
2000年になるまで、MySQLはGPLを採用していなかった。これによって、MySQLの採用が拡がるという正しい方向への大きな一歩を踏み出すことになった。その時点では、ソフトウェアをさらに自由にしてしまうことで、会社の収益を危険にさらすことになりかねないこの選択は、大きなリスクだったのだ。
これがMySQLの特徴であるデュアルライセンシングモデルの誕生だ。クライアントライブライ(libmysql)もGPLであることに気づくだろう。これによって、あなたのアプリケーションもGPLの場合は気軽に使えることを意味するが、GPL互換ではないライセンス(PHPがそうであるように、FOSSには例外が認められている)でアプリケーションを配布したい場合は、ライセンスを取得しなければならないことになる。
このライセンス収入は、MySQL ABの歴史の中で大きな位置を占めることになる。